日本三大弁財天
神社の由来
昔、御窟を本宮と言い、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と言った。社伝によると欽明天皇13年(552年)「欽明天皇の御宇、神宣により詔して宮を島南の竜穴に建てられ一歳二度の祭祀この時に始まる」とあり海運、漁運、交通の守護神として祀られてきた。文武天皇4年(700年)役小角と言う修験者がこの御窟に参篭して神感を受け、その後泰澄(たいちょう)、道智(どうち)、弘法、安然、日蓮等の名僧が次々行を練り高い御神徳を仰いだと伝えられる。その後仏教との習合によって金亀山与願寺と号し、源頼朝は鳥居を奉納し、北条時政は参籠して奇瑞を蒙り、竜の三鱗を授けられ、それを家紋とした。また後宇多天皇は蒙古軍を討ち退けた御礼とて、江島大明神の勅額を奉納されるなど朝廷及び、武将をはじめ庶民の信頼を篤く、江戸時代には江島弁天への信仰が集まり江の島詣の人々で大変な賑わいを見せた。
現在でも境内各所や社蔵の浮世絵等で当時の様子を窺い知ることが出来る。特に中津宮には、江戸堺町中村座、江戸葦屋町市村座、江戸新肴場和泉甚左衛門が奉納した石灯籠があり、江ノ島入口には数多くの寄進者達の名前を刻んだ青銅の鳥居などがある。しかし神仏習合の時代も江島大明神としての御神威はいささかも曇り給うことなく御神徳はいよいよ広大に仰がれた。
明治初年の神仏分離によって仏式を全廃して純神道に復し、改めて江島神社と号し現在に至る。
御祭神は福岡の宗像大社や広島の厳島神社と御同神である。天照大神が須佐之男命と誓約をされた時に生れました神である。
この三女神は江島大神と称し、海運、漁運、交通の守護神とされ古くは江島明神と呼ばれていたが、その後仏教との習合によって弁財天女とされ江島弁財天として信仰されるに至り、海の神、水の神のほかに幸福、財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神と仰がれた。明治初年の神仏分離によって純粋な神社信仰に復したが江島弁財天の信仰も盛んで商売繁盛、財宝福徳、芸道上達等の諸祈願を託す人々が多い。
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string(419) "ご祭神は、天照大神あまてらすおおみかみが須佐之男命すさのおのみことと誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様です。
・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
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string(523) "【江島神社のシンボル「弁天様」をお祀りする奉安殿】
辺津宮境内の奉安殿には、安芸の宮島、近江の竹生島と共に「日本三大弁財天」に数えられる「八臂弁財天(国指定重要文化財)」と「妙音弁財天(裸像の弁財天)」の2体の弁財天が奉安されています。江戸時代には弁財天の御開帳の度に群参する人々の姿が浮世絵に残っており当時の様子を窺い知ることができます。"
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string(666) "【江島神社の社紋】
江島神社の社紋は、北条家の家紋「三枚の鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「向い波の中の三つの鱗」を表現しています。
※『太平記』によれば、建久三年(1190年)鎌倉幕府を司った北条時政が、子孫繁栄を願うため江の島の御窟(現在の岩屋)に参籠したところ、満願の夜に弁財天が現れました。時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられています。
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ご祭神は、天照大神あまてらすおおみかみが須佐之男命すさのおのみことと誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様です。
・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
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【江島神社のシンボル「弁天様」をお祀りする奉安殿】
辺津宮境内の奉安殿には、安芸の宮島、近江の竹生島と共に「日本三大弁財天」に数えられる「八臂弁財天(国指定重要文化財)」と「妙音弁財天(裸像の弁財天)」の2体の弁財天が奉安されています。江戸時代には弁財天の御開帳の度に群参する人々の姿が浮世絵に残っており当時の様子を窺い知ることができます。
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【江島神社の社紋】
江島神社の社紋は、北条家の家紋「三枚の鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「向い波の中の三つの鱗」を表現しています。
※『太平記』によれば、建久三年(1190年)鎌倉幕府を司った北条時政が、子孫繁栄を願うため江の島の御窟(現在の岩屋)に参籠したところ、満願の夜に弁財天が現れました。時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられています。
結婚式は、結婚するふたりの「心」と「心」を繋ぎ、
ご家族同士の「心」と「心」をも繋ぐ大切なもの。
おふたりの、ご夫婦としての出発は、
ぜひ、神社の結婚式で。