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田無神社

五龍神のすまう田無の杜

神社の由来

田無神社の創建は、正応年間(1288〜1293)あるいは建長年間(1249〜1256)と伝わり、いずれも13世紀・鎌倉時代とされています。当初は現在の鎮座地より北へ1キロほど離れた谷戸(註1)の宮山に鎮座しており、尉殿大権現と称しておりました。
時代は下り江戸時代になると、慶長11~12年(1606〜1607)の江戸城増改築に際して、漆喰の原料である石灰運搬のために青梅街道が開かれました。これに伴い、幕府の命令により谷戸の住人たちは青梅街道沿いに移り住むこととなり、宿場町として田無の町の歴史が始まりました。
このような歴史の経緯の中で、宮山に鎮座する尉殿大権現は、元和8年(1622)に上保谷(住吉町)に上保谷尉殿権現(現尉殿神社)として分祀(註2)されます。その後の「遷座・分祀」の歴史は諸説あり、はっきりとしたことは分かっていません。
※下記に記した遷宮の年代は、田無神社現宮司(賀陽智之)の解釈によるものです。

「公用分例略記」(下田家所蔵)によると、正保3年(1646)に田無(現在の地)に、宮山に鎮座する尉殿大権現、もしくは上保谷尉殿権現のどちらかもしくは両方から、御霊が分祀されます。その際に分祀されたのが級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)の両方だったのか、男神の級津彦命(しなつひこのみこと)のみを分祀されたかは分かっていません。保谷の伝承によると上保谷尉殿権現が男神、田無尉殿権現を女神としていますが、田無の伝承では男神・女神が逆に解釈されています。明治の初め神仏分離令により、上保谷尉殿権現は尉殿神社と改称しますが、それ以降は女神である級戸辺命(しなとべのみこと)を御祭神としています。また、「本社再建、拝殿・向拝再建」(下田家所蔵)「本社拝殿棟策」(田無神社所蔵)「田無神社記」(田無神社所蔵)「神社明細書」(田無神社所蔵)によると寛文10年(1670)に谷戸の宮山から尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座(註3)されたとあります。
① 1646年に分祀された後に、1670年に遷座された
② 1646年の分祀は無く、1670年に遷座された
③ 1646年は遷座であり、1670年の遷座はなかった
現存している古文書から「遷座・分祀」の歴史を読み解くと、上記の①、②、③の可能性があります。田無神社所蔵の書物に1670年遷座と記されていること、鎮座当初の本殿(現野分初稲荷神社)が1658年に創建されたと田無神社に社伝として伝わっていることから、田無神社では①の説を有力とみています。
江戸末期までの神仏習合の時代まで、尉殿大権現は西光寺(現総持寺)が別当を務め、倶利伽羅不動明王像(龍神)を御神体としていました。明治元年(1868)の神仏分離令によって、御神体の倶利伽羅不動明王像は西光寺本堂に奉安遷座することになります。日本の神として垂迹(すいじゃく)したのが級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)であり、本地仏が倶利伽羅不動明王であるとされています。田無の古文書に、倶利伽羅不動明王だけでなく、11面観音菩薩も本地仏である記述が残されていますが、はっきりしたことは判明していません。元和8年(1622)に宮山の尉殿大権現から分祀された上保谷村鎮守尉殿権現社(現尉殿神社)に祀られていた御神体も倶利伽羅不動明王像でありましたが、現在はかつての別当寺である寳晃院に収蔵されています。また、江戸時代に尉殿権現社の拝殿に掲げられていた、「尉殿大権現神号額」は西光寺(現總持寺)に引き取られました。
その後、尉殿大権現は明治五年(1872)に村内の熊野神社、八幡神社を合祀(註4)し、田無神社と社名を改めました。その際に、大国主命(おおくにぬしのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、八街比古命(やちまたひこのみこと)、八街比売命(やちまたひめのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)等、国内諸神をお祀りしました。さらに明治43年に町内の5つの小社を合祀、昭和24年に大阪市阿倍野の大鳥神社より大鳥大神(おおとりのおおかみ)が分祀され現在に至っています。谷戸に鎮座していた弁天社、白山神社、熊野神社、稲荷神社も田無神社に合祀されたという記録が残されていますが、詳しいことはわかっていません。

註1 谷戸とは関東に多く見られる地名で、湿地、湧水など水の豊富な土地を指します。
註2 分祀とは神社の祭神の御魂を別の場所にお分けして、新たにお祀りすることです。
註3 遷座とは祭神そのものを別の地にお移しすることです。
註4 合祀とは複数の神社の祭神を、一つの神社に合わせてお祀りする事です。

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江戸期の日本文化を一身に体現した天才と言ってよいでしょう。俊表は、川越氷川神社本殿(1842年から関与、埼玉県指定文化財)、成田山新勝寺釈迦堂(1857年、国・重要文化財)なども手がけ、残した作品のすべてが文化財に選定されていることからもその才能の素晴らしさが証明されてる。中でも田無神社本殿(東京都指定文化財)は東京芸術大学学長の宮田亮平氏の言うように、天才・俊表の生涯における最高傑作ともいえる圧倒的な作品。ここに江戸期日本文化の結晶を見ることができます。" ["image"]=> int(1861) } [1]=> array(2) { ["text"]=> string(344) "【わんぱく相撲】
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  • 【嶋村俊表の彫刻】
    江戸期の日本文化を一身に体現した天才と言ってよいでしょう。俊表は、川越氷川神社本殿(1842年から関与、埼玉県指定文化財)、成田山新勝寺釈迦堂(1857年、国・重要文化財)なども手がけ、残した作品のすべてが文化財に選定されていることからもその才能の素晴らしさが証明されてる。中でも田無神社本殿(東京都指定文化財)は東京芸術大学学長の宮田亮平氏の言うように、天才・俊表の生涯における最高傑作ともいえる圧倒的な作品。ここに江戸期日本文化の結晶を見ることができます。

  • 【わんぱく相撲】
    青年会議所主催により大鵬土俵で行われます。
    子供たちが一生懸命に取り組む姿を見せてくれます。
    どうぞ小さいお子様のいらっしゃる方はご参加ください。
    天候等により、田無神社で行われない場合もあります。

  • 【例大祭】
    本宮では午前10時に雅楽の音が響き巫女舞も奉仕される中、例祭祭典が厳粛に斎行されます。引き続き神幸祭が執り行われ、5時間かけて「本社神輿」が田無の町を練り歩きます。前日の宵宮では、「万燈神輿」が巡行。「万燈神輿」とは、弓張提灯を四面に掲げた神輿のことを言います。提灯の数は 数十から百個を超え、灯が入り 闇夜に揺れ動く姿は非常に幻想的です。万燈御輿は本社神輿と違い、御霊をお入れしません。すなわち、万燈神輿の担ぎ手は、地域の人々の気ちをのせて田無の町を練り歩きます。

【人生最大の節目の日 それは田無神社で挙げる結婚の儀】

  • 【四つの特別な儀式】
    一.参進
    朱傘のもとしずしずと進む花嫁行列「参進」雅楽の調べと神職の先導で厳かに始まる神前結婚式。
    優雅で美しい参進の光景は参拝者をも魅了します。

  • 二.神主・巫女装束で撮影
    ご希望のお二人には神主・巫女の装束を着ての写真撮影サービスも承ります。
    また田無神社で挙式をしたお二人だけに特別な御朱印をお授けいたします。

  • 三.艶やかな傘でお二人をお出迎え
    結婚式を挙げて晴れてご夫婦となったお二人。
    お二人の大切な皆さまが祝う艶やかな傘のトンネル。
    これからお二人が共に歩まれる人生の道にも、今日ご参列者の皆さまの優しい気持ちの傘がさしかけられるでしょう。

  • 四.きりぬさ
    紙ふぶきのように見えるのは『きりぬさ』です。
    神道では古くからお清めに用いられてきました。お二人のために神職が心を込めて紙ふぶきを作り、麻を混ぜたものです。
    ご参列の皆さまが『きりぬさ』でお二人の歩む未来への道を清めます。

  • 【田無神社参集殿】
    境内の国登録有形文化財『田無神社参集殿』の披露宴。境内ですので煩わしい移動もなく行えます。お色直しなどもお手伝いいたします。
    仕出しの懐石料理や提携ホテルのお料理もご用意いたし、専門のスタッフが給仕も致しますので、ご相談ください。

基本情報

所在地 〒188-0011 
東京都西東京市田無町3-7-4
交通 西武新宿線「田無駅」北口より徒歩6分
駐車場 神社の北側に駐車場の入り口がございます。都道4号線よりご利用ください。
収容人数 50名(家族以外の参列も可能)
初穂料 70,000円(雅楽なし)
100,000円(雅楽あり)
URL http://www.tanashijinja.or.jp/index.php

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